自信をなくしてまで、器用になりたくない。
明けまして、おめでとうございます。
もうすっかり年が明けてしまいましたが、新年の挨拶と共に去年の振り返りと今後の目標をここに記録させてください。
ロンドンでの大学生活も2年目ということで、最近はだいぶ器用に生きられるようになりました。
効率よく課題の準備をするコツを掴んだし、生活に支障を来すほど何かにのめり込むこともなくなりました。
「リスク」の気配を感じるものには一切近寄らない
そう、防御意識が強くなったんです。お陰様で。
(大晦日の夜にウォッカとソジュを2杯ずつ飲んだだけで胸焼けを起こすリスクまでは、予見できなかったけどね。ものを飲み込む度に食道が痛むんだが、これって自然治癒するものなのかな? 2日経ってもまだ痛むようだと、ちょっとマズイな......)
けれど器用になった分、手を抜く場面が増えてしまったのも事実。
その場凌ぎの結果を出しても、私の中には何も残らないんです。
結局、自分は今だに中途半端な人間のままなんですよね。
我ながら、不甲斐無い......
私が誰かの作品に惹かれる理由って、作家の文章力や画家の発想力に対する敬意を抱く以前に、そこに「人間のズルさ」を微塵も感じないという奇跡のような事実を見つけたからなんですね。
自分が得意にしていることって、いち早く評価してもらいたいじゃないですか。
私のケースで言えば、「出来るフリ」をしてしまう。未だに、「他人から認められたい」という欲求と、「自分の浅はかさを曝け出すのが怖い」という恐怖心に抗えないんですよね......。
でも、「出来ないこと」をごまかしている自分がいることに気づいてはいるから、内心穏やかではないんですね。
(もしかして、食道が痛むのはアルコールのせいではなく、極度の不安によるものかも......違うか)
自分の夢への責任感が甘かったなあと、深く反省してから、
自問自答する。
「不器用に戻ってでも、まだ夢を追いかけたい?」
答えは、yes
ここまでくると、重症だわ。
(ため息)
新しい年は恥をかくことを重々承知した上で、自分が今まで避けてしまったことのやり直しをしようと思います。
自分が出来ないことを、他人からしっかり指摘してもらおう。そして、どんなに手間がかかってもいいから、ちゃんと自分を続けてゆこう。
今更ではありますが、わたくし、先月から友人宅を出て一人暮らしに戻りました。
こんなこと言うと、「友達と険悪な仲になって家を追い出された」みたいな解釈をされそうなので、一応強調しておきます。家を出た原因は、友達とは関係ありません。
それにしても、本当に良いタイミングで新しい家が見つかって良かった。こればかりは、運が味方してくれたとしか言い様がない。
私は神に対する敬虔な信仰心を持っていないので、神の代わりに母に感謝しようと思います。
母よ、幸運をもたらしてくれて、ありがとう。
最近は、何かと理由をつけては母に感謝の意を表するようにしています。
これだけは、2020年になっても変えたくないな。