eve-a60’s blog

ロンドンでの3年間の大学生活を記録したもの。

カフェ友について、将来の夢について。

 

 

 

 

私には校外で知り合ったアメリカ人の友人がいて、彼女とはだいたい週に一度の頻度で顔を合わせるようにしています。

 

 

簡潔に言えば、私たちの関係は「カフェ友」。

 

 

お互いに気になっている市内のカフェを共に攻略するのが、私達の主な目的です。

 

 

 

カフェで温かい飲み物とブランチ代わりのケーキを味わいながらお互いの近況報告をするのが、このカフェ友との恒例行事。

 

 

 

毎週会ってるんだから、近況報告なんてする必要ないじゃん! という最もなご意見にお答えすると、

 

 

「私のカフェ友は変幻自在なの。だから、毎回、彼女が今なに者であるのか確認しなきゃいけない。私に至っては、彼女に一週間で自分が発見したこと全てを曝け出すことで、自分の頭がパンクするのを何とか防いでいるの」

 

 

 

私の頭がパンクしそうな件はさておき (なぜ私は、新たなレシピを1つ考案しただけで一晩中、翌日のお昼にそれを実行することばかり考えてしまうんだろう)、友人が会う度にその身分を変えているのには驚きます。

 

 

 

学生、書店員、庭師、隠居者......

 

 

 

 

 

そしていつも、その身分に似つかわしくない格好で現れる。

 

 

 

 

学生だった時は、バーの職務を終えて朝帰りする女主人

 

書店員だった時は、ウィスキー瓶片手に(中身は純水)休日の市内を放浪する三流役者

 

庭師だった時は、くたびれたコートを着た徹夜続きの編集長

 

 

 

みたいな格好をしてるんです。

 

 

これが面白くて、待ち合わせ場所でその姿を認める度に笑ってしまう。

 

 

ははは、今日は編集長なんだね〜。この前は三流役者だったのに。

 

 

 

唯一変わらないのは、目の下にどっしりと居座っているクマ。

 

 

 

 

小説の中で風変わりなキャラクターが出てくると、「いや、こんな人、見たことないわ。現実にいるわけがない」ってつい苦笑してしまうけど、

 

 

自分の周りを改めて見回すと、実際にいるんですね〜。

 

 

「あ、この人、話のネタにできるわ」って人、ゴロゴロ出てきますよ。おかしいですね〜。なるほど、現実も捨てたもんじゃないですね〜。

 

 

 

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そんな友人が近況報告を一通り済ませた後に、粘土遊びでもしてるみたいに自分の顔の皮膚を上へ下へと器用に引き伸ばしているのを眺めながら、今まで読んできた本の話をするのが私は楽しくて仕方がない。

 

 

 

友人は有名な和書なら翻訳版を通して大方読んできているので、私がもちかける本の話をこちらの予想を遥かに越えてよく理解しています。これこそ、「すごい!」。

 

 

 

ここでどんな会話がなされていたかの説明は省きますが、いつも最終的には日本語と英語各々のもつ魅力に対しては両手を揃えるか膝を曲げて深々とお辞儀をするか賛美の歌を熱唱することくらいしか私たちにはできない、という結論に二人揃って合点するのです。

 

 

 

 

でも、いざ将来の夢の話をする、となると私たちの間を流れる空気は一気に重苦しくなってしまう。

 

 

 

自分とは違う夢をもつ人に将来の目標を語る時と、同じ夢をもつ人とそれを話題に持ち上げた時とでは話が別。

 

 

 

だって、マーケティングとかスポーツとか音楽とか、そういうもので頑張っている人に「私、将来、物書きになりたいの!」と言えば、「へ、そうなんだ! お互い、将来に向けて頑張ろうね!」みたいな相手の前向きな言葉が私の自己満足度を上げてくれるけれど、

 

 

 

いざ同じ夢をもつ人と「大学卒業したらさ......」なんて話を始めてしまったら、お互い、私たちは自分にはとても叶わない話をしているんだ、という気になって、

 

 

「は、私なんて全然ダメだ。才能もない、幸運を確実にする大した努力すら継続できない、でもそれ以外の生き方をする妥協もできないから、自分の夢を正当化させて親の脛を齧っている。はあ、どうすりゃいいんだ......」

 

 

 

と本当は一時だって忘れたことのない本音を漏らしてしまうのです。

 

 

 

浅はかながらも、将来の夢宣言をみんなにビラみたいに配れば、自分が少しは焦って行動するだろうと思っていた。

 

 

 

私も友人も、この先ずっと本に携われたらいい、欲を言えば携われるだけではなく、言葉がもつ力を操れる人になりたい、と思っています。

 

 

 

でも、私たちはそれが本当にただの「気持ちの良い夢」でしかなくなる可能性も知っている。

 

 

 

今はまだ、未熟さを口実にそれを否認することを許される年齢なだけであって。

 

 

 

だから、ここで一言自分に言わせてください。

 

 

 

「あなたはまだ、夢を気安く口にできるほど頑張れていない」

 

 

 

 

どうして、

 

 

 

私は頑張ってる。そんなに娯楽にお金を使っていないし、お酒も週末くらいしか飲まないし、勉強だってそれなりに上手くやってるし、我慢できることはなるべく耐えてきた、

 

 

 

なんて言葉で自分の落ち度をごまかしてきたんだろ。

 

 

 

もし私が自分のことしか見ていなかったら、そんな言葉、出てこないと思うんですよね。

 

 

 

夢が本当に実現するまで、「私は頑張ってる」なんて言って一服している暇なんてないんです。

 

 

 

多分、私がまだ誰かと自分を比べているから、こんな言葉が出てくるんだと思うんです。

 

 

 

 

私の中で「あなた、なんでそんなに頑張ってるの? どうしてそこまで、将来、他人を助けるためだなんて、そんな綺麗事に執着するの? そんなの、結局はただの自己満足じゃん!」と問いかけてくる人に対して、

 

 

私は「うん、そうだよ。人に対して良いことをしたいなんて、まったくの自己満だよ。でも、私はこの種の自己満が私にとって一番効果てきめんなのを知っている。だって、どんなに頑張ったって、他の自己満はどれも、長くても二日しかもたなかったんだから」ってはっきりと答えなきゃいけなかった。

 

 

 

 

どうやら私は、自分を「生かすため」に必要なものを再び選択しなければならないようです。

 

 

 

私は「勿体無いお化け」に取り憑かれているので、本音を言えば今自分が持っているもの全てを手元に置いておきたい。何も手放したくはない。

 

 

 

でも、新しい場所へは身軽にならないと辿り着けない。

 

 

 

 

親の脛齧りな私は、引越し業者を呼んで私の荷物全てを新居まで運んでもらうほどの余裕がないのです。

 

 

 

 

悲しいですね。

 

 

 

 

でも、その悲しい気持ちの共感者と毎週カフェってるから、私はまだ幸せ者なんだとも思います。

 

 

 

 

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