eve-a60’s blog

ロンドンでの3年間の大学生活を記録したもの。

コロナにより大学閉鎖。

皆さん、いかがお過ごしですか。

 

新型コロナウイルスの大流行によって、毎日不安な思いをされている方が多いのではないでしょうか。

 

 

いつもクールに決めていたい万年思春期な私も(しかし一度だって、クールと評された試しがない)今回ばかりは、この異常事態にだいぶ動揺してしまった事実を隠蔽するわけにはいきません。

 

 

正直、中国の武漢市内やアジアの一部地域で感染者が確認され始めた2月ごろは、「アジア、大変だな」とコロナ関連のニュースを完全な他人事として受け止めていました。

 

 

目立ちたがり屋のクラスメイトがマスクをかけて登校してきた時も、「あの子、また目立とうとしてマスクなんかかけてきた。ここはアジアじゃないんだから、予防なんてしなくても大丈夫なのに。大げさだな......」と奇妙そうに彼女のマスク姿を眺めるほどの余裕っぷり。

 

 

 

そしたら、

 

 

ウイルス、あっという間にユーラシア大陸越えて来たじゃん!

はっや! EMS 国際スピード郵便かよ!

 

 

 

すごいな。グローバル化も、ついにここまできたか。

 

そして、マスクをかける習慣のないヨーロッパ内では感染率がより深刻なものに......。

 

 

「日本、大丈夫ですか」がアジアにいる家族や友人への新しい挨拶言葉となりつつあったのに、いつの間にか「アンタ、ロンドンで大丈夫なの?」と心配される立場に逆転してしまった。

 

 

 

それでも2週間前はまだ、あまり危機感をもっていなかった私。

 

 

 

3月初めのリーディングウィークにロンドンにやって来た日本の友人と、普通にイギリス観光を楽しんでいました。

 

 

 

(ブログのメイントピックから外れるけれど、ちょっとここで、観光の思い出話につきあってくださいな。ほんと、ちょっとで済むから!)

 

 

 

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まずはクマのプーさんの聖地、ハートフィールドでアフタヌーンティーをして、

(久々に、英国式アフタヌーンティー。最近、タピオカ好きな大学の友達と遊んでばかりいたから、アールグレイよりタピオカミルクティーばかり飲んでた)

 

 

 

Pooh Sticks と呼ばれる、友人と橋の上から木の枝を川中へと落としてどちらの枝が早く橋の下を通過して出てくるかを競うゲームをしたり (イメージとしてはこんな感じ↓)

 

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 ケンブリッジの有名どころをまわりつつ、ついでに私が最近バイト先で知り合ったばかりのケンブリッジ大学に留学中の女の子を訪ねたり

 

 

 

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(教会の屋上展望台から見た市内中心にあるマーケットの様子)

 

 

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ケンブリッジ大学内にある大聖堂)

 

 

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(川辺に残された何者かによるアートワーク。タイトル不明)

 

 

 

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The Punter という名前のパブでとった夕食。イギリス料理はマズいというステレオタイプを脱却したい方は、ぜひケンブリッジ市内を訪れた際にこのパブへと立ち寄ってみてね 😉)

 

 

 

その他にも、ロンドン市内のビートルズゆかりの Abbey Road で、かの有名な交差点の写真を撮影したりしました。

 

 

 

ただ、ロンドン市内の観光では、流石にコロナウイルス流行とそれを理由にしたアジア人差別を意識せざるを得なかった。

 

 

幸い、私も友人も差別的な行為を受けることはなかったけれど、この頃から、アジアの留学生が街で理由もなく通りすがりの人から暴言・暴力を受けたという話をよく耳にするようになりました。

 

 

ここでひとつ私から強調しておきたいことは、「このような人種差別をするのは正しい知識に欠けたほんの一部の人間だ」ということ。

 

 

不安や鬱憤を自力で対処することができず、他者に全責任を押しつけて現実逃避をする。これは、欧米人に限らず心の弱い人間全般に共通していることです。

 

 

だから、もし人種を理由に差別的な態度を取るような人間に出くわしたら、動揺せずに彼らの暴言を右から左へスムーズに受け流してください。

 

 

 

すぐに言い返したい気持ちも分かりますが、相手が暴力的な行為を取る可能性を懸念することをお忘れなく。

 

 

相手を十分に観察した上で暴力は振るってこない相手だと判断したら、ま

 

 

「Please don't spend your time for such silly things! ;  (そんなくだらないことに時間を使わないでください!)」

 

 

 

くらいは言ってやっても良いのではないでしょうか。

 

 

 

 

 一緒に観光地をまわった友人が日本へ帰国してから2日後に、大学から今学期残り全ての講義と授業がキャンセルになったという知らせがメールで届きました。そして、それから更に1週間経った今日、ジョンソン大統領が英国内全ての飲食店休業を正式に決定。(でも、テイクアウトのお店は営業を続けて良いらしい)

 

 

 

あんなにマスクを嫌がっていた大学の友達も、今ではネットで注文したマスクの到着を今か今かと待ちわびているし、

 

 

誰かに連絡すれば必ずや、「今、私たちは歴史の変わり目にいるのよね」とお互いしみじみしてしまうし、

 

 

 

スーパーに行けば、商品棚はガラガラだし、

 

 

 

配達のお兄さんは、目元しか出さない全身黒ずくめの忍者スタイルでやってくるし、

 

 

 

数日前に発熱したカフェ友から「今から2週間、外に出れない。病院にも行けない」というメッセージが届いて、

 

 

 

「そんな! 今すぐ、そっちに漢方薬でも送るから!」

 

 

 

と、迅速に日本の薬をネットでオーダーしてみたものの、相手先から来るのは商品発送の通知メールではなく「全商品在庫切れ」のお知らせだったりするし......

 

 

 

 

本当に予測できない事態の連続で、現在の私、完全に思考停止。

 

 

 

何をすれば良いのか分からず、とりあえず寝る。お菓子を食べ漁る。そして、アニメと映画をひたすら鑑賞。

 

 

 

 

この自宅に隔離された状況下で私が思い知ったことは、決まったスケジュールがないと私はどこまでも怠けてしまう、ということ。

 

 

先週の時点では、まだ「予定がなくても、ちゃんと自習しよう!自由な時間を有効活用しよう!」と思ってた。

 

 

でも、今の私にはそのような高尚な志など微塵も残っていない。

 

 

「課題がキャンセルにならないなんて! つらっ! ちゃんとした授業なしに課題の準備なんてできない! もうやだ、寝る!」

 

 

 

と、布団の中に閉じこもってばかりの日々。

 

 

 

 

部屋の中に何日も缶詰状態となると、私に限らず誰でも仕事に対する健全なモチベーションを喪失してしまうのかもしれない。でも、やっぱりこれ以上、「いつもと環境が違うから」という理由で怠けたくはない。

 

 

 

だから明日から、起床したらまず最初に1日の予定を立てることにする。

 

 

 

よっぽど精神を鍛え上げた人でない限り、明確な目標なしに生産性のある生活を実現させるのは無理ね。

 

 

学んだわ。

 

 

 

この他に、私がこの異常なエピデミックを通して気づいたことは、「社会的イメージ」というものがいかにして緊急事態対処の足枷になるのか、ということ。

 

 

 

ここでは「マスクをしている人=病人」というイメージが強いせいで、多くの店で従業員の勤務中のマスク着用が認められていない。

 

 

 

「派手髪、刺青、ピアス、すべて禁止」といった日本のような厳しい身だしなみ制限がないことがイギリス文化の良い点だと思っていたけれど、私が単に見落としていただけで、イメージに対する執拗な拘りはここにも存在していた。

 

 

この異常事態においても、「マスク=重病人」から「マスク=感染予防」という思考転換ができないとは.....なるほど、「社会的イメージの確立」って、本当に一種の集団洗脳になるんだな。恐ろしい......。

 

 

 

母の「ルールなんて糞食らえ!」という口癖を聞く度に、「うちの母ちゃん、ヤバイな。常に自分が法律だと思ってるよ。 我が家の独裁者だよ。誰も、この人を止められないよ」と彼女の徹底的な自己中心的思考に怖れを感じていたけれど、もしかしたら、あの人、本当はただの「ヤバイ人」ではないのかも......

 

 

 

と思い至り、長らく未読のままにしていた母からの最新メッセージを確認したら、

 

 

 

「マスクがないなら、ブラジャーで代用しなさい!」

 

 

とのこと。

 

 

うん。

 

 

 

やっぱり、うちの母、ヤバイわ。

 

文章で自分を記録するということ。

 

 

 

「今日は4年に一度の2月29日だよ!(正確に言えば、4年に一度と決まっている訳ではない)何か不吉なことが起こるかもしれない、気をつけて!」

 

 

起床して真っ先に聞いた言葉がこれじゃあな......。

 

母さん、もっと縁起の良い話をしてくれないか。

 

 

なんて、内心苦情を漏らしつつ最近お気に入りの油揚げと野菜の味噌汁を作る。

 

 

汁気を存分に吸い込んだ油揚げの肉厚な舌触りときたら.......たまらない!

そして、液状化する一歩手前まで煮込まれたとろとろの冬瓜を、まろやかな白味噌ベースの汁と一緒に胃の中に流し込む瞬間の幸福感というのも、まったく筆舌に尽くし難いものである。

 

 

(ややこしいので、この先は、文体をいつもの感じに戻しま〜す)

 

 

師走、睦月、如月が特に忙しいのは毎年承知の事実なのに、いざ春を目前にしてみると、竜宮城から帰還した浦島太郎並みに現実世界の時の流れの速さに拍子抜けしてしまう。

 

 

特に今年は英文学科の課題図書が長編作ばかりで、やっと一冊読み終えたと思えばもう2週間が過ぎていたりする。やめてくれ......。

 

 

 

(年間1000冊本を読みます、って熱心な読書家みたいなことを言ってみたいんだけど、私の場合、読むスピードが遅くて無理だわ。1日で長編完読できる人とかって、実は顔に目が5つくらいついているんじゃない?もはや、魔法にしか見えない)

 

 

 

ちなみに、今月読んだ本の中で一番、いまの私の心に響いたのはこちらの一冊。

 

 

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海外での生活経験がある人なら、必ずどこかで共感できる話。

 

 

 

本のタイトルにある「Americanah アメリカーナ」という言葉は多義的で、その言葉を使う人の生い立ちや人種によって、その意味合いがだいぶ変わってくる。

 

 

 

主人公のイフェメヌちゃんは、ナイジェリアの大学がストライキを起こしたことをきっかけにアメリカへと留学するんだけど、そこで初めて自分の人種の複雑さに気づく。

 

 

 

ナイジェリアでは自分が黒人であることを全く意識してこなかったものだから、多国籍なアメリカ社会の中で「Non-American Black」(アメリカ育ちじゃない黒人って意味。ちなみに、アメリカ育ちの黒人だと American Black になる)という新しいアイデンティティを突然与えられて混乱してしまう。

 

 

彼女はやがて、自身のアメリカでの新しい生活をブログに記録してゆくんだけど、読む人によってはブログの内容は全て「黒人の女性による人種差別に対する抗議」と解釈される。また、他のアメリカ育ちの黒人たちからは「あんたは、よそから来た黒人だから、人種について気楽に発言できるのよ。私たちアメリカ育ちの黒人には、そんな自由な発言は許されない」的なことを皮肉混じりに言われる。

 

 

こんな感じで、アメリカ国内ではどこまでも「よそ者」扱いされるイフェメヌちゃんだけど、ナイジェリアの家族や友人からは「Americanah (ここでは「欧米化した人」という意味)」としてみなされる。

 

 

アフリカ英語ではなくアメリカ英語を話し、編み込みにしていた髪の毛をアメリカのビジネスウーマンっぽく下ろしたイフェメヌちゃんは確かにアメリカの文化に影響されているけれど、それは決して「ナイジェリア人でいることをやめた」というわけではない。なのに、他のナイジェリア人からは「Americanah 完全に欧米化しちゃった人」という憧れと嫌味の混じった呼び方をされる。一方で、アメリカ国内の黒人以外の人たちからは、いつまでも「クラス階級では一番下の黒人」という認識しかされない。

 

 

 

アメリカ人にもナイジェリア人にもなれない私は一体、何になればいいの???

 

 

 

本文にこんなセリフなかったけど、おそらくイフェメヌちゃんの心の中、常にこんな感じだったと思うんですよ、私。え、違ってたら、なんかごめん。謝るわ。

 

 

 

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私もね、高校卒業してから随分長いこと日本を離れているものだから、自然と「日本人っぽくない」言動をとってしまうことがあって、(家族含めて)周りから「ヨーロッパ人っぽくなった」と言われたりするけど、一旦日本からロンドンに戻れば自分がイギリス人ではないことをこれでもかというくらい実感するわけで。

 

 

 

別に、イギリス人になりたいわけではないけれど、NOをなかなか言えないが為に誤解を生んでしまう自分に嫌気が差すと「あ〜、どうして私はここに来ても日本語特有の『相手に対する過度な気遣い』をやめられないんだろう。こんなんじゃ、ロンドンでちゃんと生活できない」と自分の日本人らしさを責めてしまうこともあり、

 

 

 

その一方で、自分から「日本人らしさ」が どんどん消えてしまうことへの恐怖を覚えるときもある。

 

 

 

でも一旦冷静になると、「完全なイギリス人」「完全な日本人」ってなんぞや、そこで完全を目指して何になるんだ、と、いちいち自分のアイデンティティを特定の国の名前に当てはめようとする行為事態に疑問が湧く。

 

 

そもそも、留学を考えるずっと前から私は西洋の思想に興味を持っていたわけで、私はヨーロッパ人になるためではなく、自分らしくありたいから渡英したんだった。つまり、多少なりとも私の本質にはヨーロッパの文化に通ずる部分があった、それだけの話。

 

 

 

日本語を勉強している私のイギリスの友達も、日本語を勉強しているから謙遜気味な性格になったのではなく、もともと日本特有の「思いやり精神」を感じられるセンスがあったから、日本文化に興味を持てたんだと思う。

 

 

 

最近、とある人から「英語を勉強するからには、あなたはイギリス人にならなきゃいけない」と言われて、「それは違う」と心の中で反発したことがあったんだけど(口に出して反論できなかったこと、すごく後悔してる)、多分私の考えは間違ってないと思う。

 

 

 

英語を勉強しているからって、自分が日本で培ってきたものを手放す必要はない。だって、自分のルーツを失ってしまったら、私の中には何も残らない。たとえ周りから賞賛されるようなイギリス人らしい振る舞いをマスターしたところで、私は何になれるの?

 

 

 

少なくとも、私は自分の日本人としてのアイデンティティがあるから、Americanah という言葉の意味を人一倍理解できたと思うし、それがとても嬉しい。

 

 

 

クラスメイトにこの本を読んだ感想を話したら、

 

 

「Yuka の話を聞いたら、この本をもう一度読み直したくなった! ありがとう!」

 

 

って言ってもらえた。

 

 

 

いつか、一人前の翻訳家になれたら、この本を訳したいな。

 

(それとも、もう既に、誰かが訳しているのかな?)

 

 

 

 

 

一月越すたびに、私の中で何かが新しくなってる気がする。

 

 

だから、もっと自分を記録することに意欲的にならなきゃいけないね。

私の大好きな人は、神様になりました。

 

 

 

 

またひとつ、

 

 

私の夢が、また一つ、

 

 

叶えられないものになり、

 

 

だから、謝らなくちゃと筆をとっても、

 

 

もう私の謝罪文を送る宛先はどこにもない、ということに数秒差で遅れて気づくわけで。

 

 

 

それでも、私、一つだけ安心したことがあるんです。

 

 

綺麗だったんだって。

 

 

私の大好きな人は、本当に綺麗な顔して、彼女の最後の誕生日を終えたって聞きました。

 

 

分かってた。そうだろうと思ってた。

 

 

だって、昔からずっと、

 

 

天使みたいな人だったんだもの。

 

 

初雪を思わせるような透き通る白い手で、私に惜しみなく温もりを分けてくれるような人だっだから。

 

 

あの手の温かさを思い出す度に、

 

この人、次は、神様になるんだろうなって、感じていた。

 

 

 

今になってやっと、私は「神様を信じている」と公言できます。

 

 

私の、神様。

 

 

貴方がいたから、私は生きています。

 

 

どうぞ、これからは、私に深く愛されてください。

 

 

貴方への深遠なる愛を不変の真実とすることで、私は強くなろうと思います。

 

 

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自信をなくしてまで、器用になりたくない。

 

 

 

 

明けまして、おめでとうございます。

 

 

 

もうすっかり年が明けてしまいましたが、新年の挨拶と共に去年の振り返りと今後の目標をここに記録させてください。

 

 

 

ロンドンでの大学生活も2年目ということで、最近はだいぶ器用に生きられるようになりました。

 

 

 

効率よく課題の準備をするコツを掴んだし、生活に支障を来すほど何かにのめり込むこともなくなりました。

 

 

 

「リスク」の気配を感じるものには一切近寄らない

 

 

 

そう、防御意識が強くなったんです。お陰様で。

 

 

 

 

(大晦日の夜にウォッカとソジュを2杯ずつ飲んだだけで胸焼けを起こすリスクまでは、予見できなかったけどね。ものを飲み込む度に食道が痛むんだが、これって自然治癒するものなのかな? 2日経ってもまだ痛むようだと、ちょっとマズイな......)

 

 

 

 

けれど器用になった分、手を抜く場面が増えてしまったのも事実。

 

 

 

 

 

その場凌ぎの結果を出しても、私の中には何も残らないんです。

 

 

 

 

結局、自分は今だに中途半端な人間のままなんですよね。

 

 

 

 

我ながら、不甲斐無い......

 

 

 

 

私が誰かの作品に惹かれる理由って、作家の文章力や画家の発想力に対する敬意を抱く以前に、そこに「人間のズルさ」を微塵も感じないという奇跡のような事実を見つけたからなんですね。

 

 

 

自分が得意にしていることって、いち早く評価してもらいたいじゃないですか。

 

 

 

私のケースで言えば、「出来るフリ」をしてしまう。未だに、「他人から認められたい」という欲求と、「自分の浅はかさを曝け出すのが怖い」という恐怖心に抗えないんですよね......。

 

 

 

 

でも、「出来ないこと」をごまかしている自分がいることに気づいてはいるから、内心穏やかではないんですね。

 

 

 

 

(もしかして、食道が痛むのはアルコールのせいではなく、極度の不安によるものかも......違うか)

 

 

 

 

自分の夢への責任感が甘かったなと、深く反省してから、

 

 

 

自問自答する。

 

 

 

 

「不器用に戻ってでも、まだ夢を追いかけたい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

答えは、yes

 

 

 

 

 

ここまでくると、重症だわ。

 

 

(ため息)

 

 

 

新しい年は恥をかくことを重々承知した上で、自分が今まで避けてしまったことのやり直しをしようと思います。

 

 

 

 

自分が出来ないことを、他人からしっかり指摘してもらおう。そして、どんなに手間がかかってもいいから、ちゃんと自分を続けてゆこう。

 

 

 

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今更ではありますが、わたくし、先月から友人宅を出て一人暮らしに戻りました。

 

 

 

こんなこと言うと、「友達と険悪な仲になって家を追い出された」みたいな解釈をされそうなので、一応強調しておきます。家を出た原因は、友達とは関係ありません。

 

 

 

 

それにしても、本当に良いタイミングで新しい家が見つかって良かった。こればかりは、運が味方してくれたとしか言い様がない。

 

 

私は神に対する敬虔な信仰心を持っていないので、神の代わりに母に感謝しようと思います。

 

 

 

母よ、幸運をもたらしてくれて、ありがとう。

 

 

 

最近は、何かと理由をつけては母に感謝の意を表するようにしています。

 

 

 

これだけは、2020年になっても変えたくないな。

 

新しい家 🏡

 

 

 

明日から、大学の新学期が始まります。

 

 

 

今まで1日の大半を猫と戯れていた身としては、気が重くなる事実ですね。

 

 

また、沢山の人に囲まれて慌ただしく暮らすのか......。

 

 

 

あと2週間くらい、猫とだけ会話していたかった。うちの親が、娘が英国で英語ではなく猫語ばかり上達させていたら悲しむことくらい、重々承知しているんだけど。でも、留学したくらいじゃ、人の内面なんて変わらないのよね。やっぱり、部屋でコロコロコロコロ、ジャガイモみたいに転がってる方が、私は落ち着く。コロコロコロコロコロコロコロ......。今度から、体に粘着テープでもつけておこうか。そうすれば、自然とカーペットの掃除が済むわけだから、自分は全自動粘着ローラークリーナーとして社会に貢献できているのだと不滅の自信を得ることになる。

 

 

 

(できれば、同じローラークリーナーでもネコ型になりたい↓)

 

 

 

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3ヶ月ほど前にブログで、ロンドンで都合の良い住居が見つからなくて困っているという話をしましたが、この問題は無事に解決しました。

 

 

 

 

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これから、友人宅に住みつくことになりました。

 

 

 

居候、というわけではないけれど、空き部屋をロンドンにしてはかなりの低価格で貸してもらってます。しかも、朝昼晩の食事つきで。

 

 

 

 

 

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早速、雰囲気作りのための装飾用ライトを購入。

 

 

 

ベッド以外の家具は、友人のご両親が全て事前に買い揃えて下さいました。

 

 

 

そして、今は本を収納するための引き出しがついたベッドを探してくれている。

 

 

 

有難い。

 

 

 

 

 

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しかも、友人のお母さんの料理がお世辞などではなく、ロンドンの五つ星レストラン並みに美味しい。料理というよりただ解凍した食材を胃袋の中に収めていることの方が多かった一人暮らしと、これでやっとおさらばできます。

 

 

 

「 私、一人でいるのが好き」とか言っておきながら、本当は周りに面倒を見てくれる人が沢山いたからここまでやってこれたんですよね。

 

 

 

小心者の私が多種多様な経験を積めたのも、ひとえに「周囲にいる超行動力がある人達」のお陰なんです。

 

 

 

例えば、「これに挑戦してみたいんだけど......」と友人に話を持ちかけてみると、

 

 

 

私が消極的なセリフ ーー「でも、私なんてどうせ大したことないから、やっぱり無謀な挑戦はやめておこう」と言い添える前に、

 

 

 

「Yuka ! あなたの代わりに、応募しといたよ!」

 

 

 

と、向日葵みたいな笑顔で友人がメールの応募完了通知を見せてくるわけです。

 

 

 

え、嘘でしょ! 本当に応募しちゃったの ⁉︎

 

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どうしよ、今から面接の準備しなきゃ。え、なんで、私、こんなことになってるの。え、私、絶対、応募なんてできないと思ってたのに、え、でも、ここで、辞退したら、協力してくれた友達に悪いし、え、でも、まさか、本当に応募しちゃうなんて、え、え、、、

 

 

 

 

と、アタフタしているうちに、無事に面接を終えて、新しい仕事のオファーをもらったりしているわけなんです。

 

 

 

 

バンジージャンプを実行する直前になって突然怖気付いて飛び降り台の上でグダグダと躊躇していたら、いつの間にか背後に回っていた友人に背中を押されて、空中で飛躍していた

 

 

 

そんな感覚。

 

 

 

大体、私は押しに弱過ぎる。

 

 

 

前述した件では、私が友人の行動力に逆らわなかったことが良い結果に繋がったけれど、この押しの強い人に従ってしまう性質が毎度プラスになるとは限らない。

 

 

 

だって、私、

 

 

 

 

押しの強い売り子の人に話しかけられたら、絶対最後までセールストークを聞いちゃうし

 

 

(でも、運良く今まで変なセールスに引っかかったことはない。そして、話を聞きはするがケチなので財布は出さない)

 

 

 

 

パーティーに誘われて、「え、パーティーか。人一杯いるよね。どうしようかな」って出席するリスクを思案している最中に、友人から既に私も参加者の一人みたいな扱いを受けてしまったら、もうダメ。「はい、最初から行くつもりでした」というフリを精一杯してしまうし

 

 

 

 

 

バイト中にお客さんから「これ、預かっといて」と強い口調で言われると、マネージャーから預かりもの禁止と注意されていたにも関わらず、反射的に「はい」と両手を差し出してしまったこともあるし

 

 

 

(最近は、少なくともバイト中は気弱な本性を出さないようにしようと意識しているので、お客さんからの無理強いをちゃんと断れるようになった)

 

 

 

 

「美味しいでしょ。もっと食べなよ」と何度もすすめられた際には、どんなに満腹でもお代わりしてしまうし

 

 

 

 

 

あんまり気になっていない人でも「仲良くして」と迫られたら、「はい、そうしましょう」と連絡先を交換してしまう。

 

(流石に、通りで話しかけてきた見知らぬ人には連絡先渡さないよ。そこは、安心して)

 

 

 

 

 

私は、絹ごし豆腐か。

 

 

 

誰に対しても、滑らか過ぎるだろ。

 

 

 

 

こんな調子だから、私をよく知っている人達からは「こいつ、一人きりにしたら危ないわ。ちゃんと、家まで帰れるんかな。途中で不審者に声をかけられて車に乗るよう促されても、上手く断れずに乗っちゃうんじゃないか」レベルで心配されてしまいます。みんな、私のこと幼稚園児だと思ってるのかな。私、立派な人間不信だよ。誰にもついて行かないよ。

 

 

 

私の周りに面倒見の良いしっかり者が多いのも、このふにゃふにゃした性格が原因でしょうね。おそらく。

 

 

 

 

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(友人宅の猫ちゃん。いつか猫のイケメンコンテストに出場するかもしれないと思って、応募用の写真を撮ってみた😊)

 

 

 

 

さて。

 

 

この新しい家での新しい人との生活が、実り多い経験となりますように 🍀

中島みゆきの「誕生」から学ぶこと。

 

 

 

 

またまた私が傾倒している中島みゆき大先生(勝手に自分の師匠にしています。すみません)の歌について、お話しさせていただきます。よろしくお願いします。

 

 

 

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おそらく私は、中島みゆき先生がリリースされたアルバムの中で、こちらの EAST ASIA が一番好きです。「おそらく」と書いたのは、どのアルバムも大傑作なので「一番」「二番」と優劣をつけることが本当は不可能だと思っているからです。

 

 

 

だから、私にとっての「一番好きなアルバム」というのは、「一番好きな曲が収録されている」ではなく、「一番思い入れが深いアルバム」という意味になります。

 

 

 

 

では、なぜ EAST ASIA が一番思い入れが深いのか、というと、その理由はとてもシンプルで、このアルバムが私が歌手、中島みゆきを知るきっかけになったからです。

 

 

 

 

小学三年生だった私は、いつも塾がある日に母の運転する車で送り迎えをしてもらっていました。この時、私は第一次反抗期の最中で母とはよくケンカをしていました。(要因は全て、私の塾での算数の成績)

 

 

だから、車内はいつだってピリピリ。乱暴な運転の仕方からしても、母の機嫌が悪いことは一目瞭然でした。(今思うと、危ない......)

 

 

一方、後部座席に腰掛けて窓の外を見ている私も怒り心頭。なぜ、母は私の算数の成績しか見てくれないんだ。国語であんなに高得点取ったのに! なんで? なんで!

 

 

 

私と母、二人の間を流れる不穏な空気に耐えられなくなったのか、信号待ちをしていた母が 突如、CD をかけ始めました。

 

 

 

その時に流れた曲が、EAST ASIA。

 

 

 

母とはもう一生、口を利くものか! と決心していた私でしたが、この曲を耳にした途端、思わず「え、これ、誰が歌ってるの?」と声をあげていました。

 

 

 

つられて母も「思わず」といった様子で、「中島みゆきだよ」と平常なトーンで返事をしました。

 

 

 

「この歌、いいね」

 

 

中島みゆきは、あんたがお腹の中にいた時によく聞いてたんだよ」

 

 

 

その日、親子がまともに会話をしたのはこれが初めてでした。

 

 

 

 

「お母さん、このCD、私にちょうだい」

 

 

 

と母にお願いしたのが、歌を聴いてすぐだったのか、聴いてしばらくしてからだったのか。その点はよく覚えていないけれど、とにかく中島みゆきのEAST ASIA と出会ったことは、私の人生の転換点の一つになったと言っても過言ではないでしょう。

 

 

 

 

 中島みゆきの歌は、本当にたくさんの「生き方」を私に見せてくれました。

 

 

 

 

聴き始めた頃はまだ9歳だったので、「へ、こんな風に怒ったり悲しむことが、人生にはあるんだな」とただただ驚き、「果たして私がそれを体験するのは、何年後になるだろう」と想像していたわけなのですが、

 

 

 

EAST ASIA に収録されている歌に関して言えば、それは21歳です。

 

 

 

間違いない。

 

 

 

 

特にその中の一曲、「誕生」の二番の冒頭、

 

 

 

ふりかえる暇もなく時は流れて

 

帰りたい場所が またひとつずつ消えてゆく

 

すがりたい誰かを失うたびに

 

誰かを守りたい私になるの

 

 

 

は、now です。

 

 

この歌は、まさしく「今の私」です。

 

 

 

 

最近、自分の夢をどこまで追いかけたら良いのか分からなくなることがあります。

 

 

 

果たしてどこまで願望を押し通せば罪にはならないのか。それがよく分からなくて、困っています。

 

 

 

留学して、無事に大学を卒業して、自分の夢を叶えるための挑戦を続けて、そして夢が叶ったら今まで支えてくれた人たちに「お陰様で、ここまで成長しました」と報告するつもりでした。

 

 

でも実際は、みんながみんな、そんなに長く待てるわけではないんです。

 

 

 

一昨年の冬、母方の祖父が亡くなりました。

 

 

 

祖父とは、小学生の時に会ったきりでした。

 

 

 

中学受験が終わったら、中学の勉強が落ち着いたら、高校生になってから......。

 

 

 

私は「勉強が忙しいから」「おじいちゃんとおばあちゃんの家は(上海にあって)遠いから」と言って、母方の祖父母を一度も訪ねませんでした。もっと言うと、「訪ねに行きたい」とも思わなかったんです。

 

 

それくらい、自分のことしか頭になかった。

 

 

 

高校卒業後の留学経験を経て心にゆとりができた私は、やっと「久しぶりに上海に行って、おじいちゃんとおばあちゃんに会いたい」と思うようになりました。

 

 

 

けれど結局はそれも生ぬるい想いだったようで、私の中にいつも居座っている「今はお金と時間が足りないから、もう少し経ってからにしよう」という考えを追い払うまでには至りませんでした。

 

 

 

そして、「あともう少ししたら、会いに行こう」を続けているうちに、その夢はもう実現できないものになっていました。

 

 

 

母から祖父の死を告げられた時、自分がどのような感情を抱けばよいのか分かりませんでした。

 

 

悲しもうにも、長年祖父に会いに行く努力すらしなかった自分がその死を悼むのは、あまりにもおこがましいような気がしたのです。

 

 

今まで散々中島みゆきの「誕生」を聴いては、「人はいつかは亡くなってしまうものなんだ」と悟っていたのに、結局私は何もできなかった。ただ人生を悟ったような気になっていただけで、それがどういうものか本当に理解していたわけではなかったのです。

 

 

 

 

祖父の突然の死と自分の愚かさに当惑しながら、それでも周囲に冗談を言って笑い、「試験終わったら、新しい服が欲しいな」「このレストランでお祝いしたい」だのそんなことばかり繰り返すことで、自分が祖父に対して軽率な態度をとってしまった事実から目を反らす他ありませんでした。

 

 

私がそんな調子だったからでしょうか。

 

 

 

去年の冬、今度は父方の祖母がガンを発症しました。

 

 

9月に空港まで私の見送りに来てくれた祖母はいつもと変わらず健康そうに見えましたが、その数日後に頭皮に異物を発見して病院まで検診に行ったところ、それが癌腫であることが発覚しました。

 

 

「癌細胞が頭皮に発生するという珍しいケースで、更なる進行を防ぐためには頭皮の一部を除去しなければならない」と医師から告げられた祖母は、すぐに頭皮の一部を削りそこに臀部の皮膚を移植する手術を受けたそうです。

 

 

 

「〜そうです」と書きましたが、私はこの話を手術終了後に両親から聞きました。

 

 

 

しかも、手術から2ヶ月ほど経った12月になって初めて、祖母の病気のことを知ったのです。

 

 

 

これには、私の留学生活を邪魔したくないという祖母の願いがありました。

 

 

私の一学期の勉強がひと段落つくまで病気のことは黙っていて欲しいと、家族みんなにお願いしていたそうなのです。

 

 

 

でも正直な話、11月に突然、母から電話で「今年の冬は日本に戻って来なさいよ」と言われた時点で、「これは何かあるな」と勘付いていました。12月の航空券は半年前から予約しても高いのに、それをいきなり値段がいくらになってもいいから今すぐ予約しなさいと言ってくるのはおかしい、何か悪いことが起こったに違いない、と疑っていたから、帰国してすぐに空港の駐車場で母から「おばあちゃんがガンになったの」と告げられても大して驚きませんでした。

 

 

 

幸い祖母の手術は成功したので、母方の祖父のように感謝の意を示すのにはもう手遅れ、という最悪の事態を回避できたのですが、それでも現在の祖母はガン再発防止の放射線治療や肺に溜まった水を抜くために入退院を繰り返していて、とても安心できるような状態ではありません。

 

 

 

だからこの夏休みでは、暇さえあればなるべく祖母に会いに行くようにしました。

 

 

でも会う度に、

 

 

「おばあちゃん、私の夢が叶ったよ。もう一人前だよ。だから、もう心配しないで」

 

 

という言葉を未だに口にできない自分の無力さに嫌気が差すばかりで、気持ちは一向に晴れません。

 

 

そして、

 

 

「大学卒業したら、海外に就職なんかしないで日本に戻って来なさいよ」

 

 

 

と祖母に言われても、素直に「うん、そうだね」と頷くことができない自分も恨めしいです。

 

 

 

 

夢を理由にどこまでも冷酷になれる怪物、そんなものに私はなりたくないです。

 

 

 

なのに、「きっと、今のこのタイミングでなきゃ、挑戦できない。間に合わない」と、どうしても野望を抱いてしまう。

 

 

 

私は一体どうしたら、いいんでしょうか。

 

 

 

何も解決しないまま、また日本を離れなければならないのが心苦しいです。

 

 

 

先日、祖母がまたしばらく会えないだろうからと早めの誕生日のお祝い、三万円が入った封筒を渡してくれました。

 

 

中には、お札の他に祖母からの手紙が入っていました。

 

 

そこに書かれていた「ガンになってしまって申し訳ない」という言葉。これが、頭から離れません。

 

 

今日は一日中、その言葉に捕らわれています。

 

 

 

謝りたいのはこっちなのに、どうして祖母が謝るんだ。

 

 

 

もうここまで来ると、祖母に対して怒りのような感情さえ湧いてきます。

 

 

なんで、おばあちゃんは私にそんなに甘いんだ。優しいんだ。

 

 

 

太宰治の「人間失格」を初めて読んだ時、話の最後で主人公のことを「神様みたいないい子」と言うバーのマダムはまさしく自分の祖母のことだと思いました。

 

 

 

(なんか、中島みゆきの歌で話を始めたのに、太宰治の小説まで出してしまいました。すみません)

 

 

 

今の私は自身も大切な人も、どちらも満足させられない空っぽな存在で、誇れることなんて何一つないのだけど、しかしそれでも、この場で何か自慢できるところを挙げなければならないとしたら、「人の愛情が、どういうものか知っていること」と答えさせてください。

 

 

 

そう信じ続けることで、今は精一杯です。

 

 

 

 

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やさしい人へ

 

 

 

やさしい人へ

 

 

泣かないでください

 

 

そんな風に、すぐに泣いたりしないでください

 

 

喜ばないで

 

 

そうやっていちいち喜んでいたら、いつか痛い目に遭います

 

 

 

やさしいから

 

 

やさしい人だから

 

 

 

 

そんな理由で甘やかすのは良くないと、時々思い留まるのだけど

 

 

 

それでもやっぱり、私自身もやさしい人をやめられないようで

 

 

 

あなたはやさしいから大丈夫

 

 

 

なんて無責任なことを言ってしまう

 

 

 

 

やさしい人たち

 

 

 

、結局みんな

 

 

 

優しくなりたいんだ

 

 

 

 

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